憤ること

2004年7月5日
一昨日なぜかユニセフから寄付を、、という手紙が届いて思い出した事がある。
慈善つながりで。

一昨年の今頃、友達に一通の手紙…
というにはあまりに厚みのある書類の様なモノが届いた。

「骨髄バンク」からである。
友達の型が白血病で苦しんでいるヒトの型と一致したのだ。

でも検査に3度行った後、結局は提供をやめてしまった。
コレを読むとひどいヒトと思うかもしれない。

しかし、、、、、
あまりにもおかしいのである。
システムがだ。

ワタシだって、型が一致したヒトに骨髄液を
カンタンに、お金もかからずあげるならあげてもいいかなとも思う。
(「あげる」という言い方はとても上からのモノ言いで失礼なのだが…)

しかし、何回もの問診や検査、そしてその患者さんのいる病院まで
行く費用が自腹だとしたらどうだろう。
そして検査や手術に行くために休日も削られ、術後は1週間の入院。
仕事を持っているヒトならば時間も拘束される。
後遺症も残るかもしれない。

ここ新潟県の場合は新潟市にしか骨髄バンクとつながっている病院がない。
ここから新潟市までは高速を使っても2時間弱。
高速代金は片道2500円程度。
そこに3回も行ったのだ。
そして患者は外国人のヒトだったため手術は東京。
東京にも手術まで3回行かなければいけない予定だった。

ヒトの命よりも大切なモノはないのかもしれない。
でもこう書いて、今実際に「それでもあげる事ができる。」
と言えるヒトが何人いるだろう。
時間とお金があるとても慈悲深いヒトだけなのではないだろうか。

もちろんそのシステムを知った上で彼女は登録すべきだったかもしれない。
でも今のCMではそのリスクや時間を言ってはいない。
純粋な心のヒトであれば、登録してしまうかもしれない。
そして後でそのリスクを知って、
できない→自分は偽善者ではないのか?と悩む事になったりする。

やめてしまった彼女をひどいヒトと言えるだろうか?
今のこの提供するヒトが損をする様な状態ではたとえ骨髄バンクの
登録者が増えたとしても、完全に提供してくれるヒトは増えないと思うのだが
そんな風に思うワタシが間違っているだろうか?

何かくれ!なんて言うヒトはいないだろう。
ただ提供者がもっとスムーズに提供できるシステムを早く整えるべきなのでは?
と思うばかりなのである。

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